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梅川壱ノ介|歌舞伎から日本舞踊へ―伝統を未来へつなぐ舞踊家の挑戦

  • 執筆者の写真: 壱ノ介 梅川
    壱ノ介 梅川
  • 12月5日
  • 読了時間: 8分

更新日:12月17日

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舞台の幕が上がると静寂の中に一筋の光が差し込み、その中央に演者が現れます。扇をそっと開き、わずかな体重移動や指先の角度も演出の一部となり、静かに張りつめた会場の空気。


梅川壱ノ介の舞台を見ると、長く受け継がれてきた日本舞踊の美しさと、彼自身が築いてきた自由な表現力を同時に鑑賞できます。そのひと振りひと振りに息づく美しさと緊張感に、観る者はいつの間にか引き込まれてしまいます。


今回私たちはクラシックバレエ、歌舞伎、日本舞踊という芸道を歩み、国内外で新しい表現に挑み続けてきた梅川壱ノ介氏に話を聞きました。彼の経歴や転機となった出会い、舞台づくりの裏側、そして日本舞踊を通して未来へ伝えたい想いを紹介します。


クラシックバレエで培った表現力と世界への視野

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1983年、大分県日田市に生まれた梅川壱ノ介は、18歳からクラシックバレエを学び始めました。大学進学後も稽古を続け、新潟大学での学生生活と並行して本格的に舞踊に向き合います。卒業後に所属した東京バレエ団では、多くの古典作品や世界的な名作に出演し、舞台の基本となる身体づくりや表現力を磨いていきました。


梅川壱ノ介は「東京バレエ団を選んだのは、故モーリス・ベジャールの作品を唯一持っている日本のバレエ団だったからです」と語ります。さらに『ギリシャの踊り』や『ボレロ』に出演できたことは、かけがいのない財産になったそうです。


2,000席規模の劇場で繰り返し舞台に立ち、『白鳥の湖』『眠れる森の美女』『ジゼル』などの古典作品にも出演。ヨーロッパ公演で客席の反応を直接感じたことは、舞踊家としての視野を広げ、「日本の伝統芸能をもっと深く学びたい」という思いへつながっていきました。


歌舞伎俳優としての鍛錬、そして日本舞踊への道

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東京バレエ団で活躍した後、梅川壱ノ介は国立劇場の歌舞伎俳優養成所に入所します。立廻りや日本舞踊の基礎だけでなく、三味線、長唄、義太夫、太鼓や鼓(つづみ)などの邦楽も第一線の先生方から学びました。


坂東玉三郎氏の踊りの授業、人間国宝・米川文子氏の稽古に触れたことは、技術だけでなく、芸道の精神に触れる貴重な機会となります。80歳を超えた米川氏は、若手である梅川の前にも丁寧に正座し、深く一礼してから稽古を始めました。静まり返った畳の上で、布が擦れるわずかな音だけが響く。その光景に触れた瞬間、梅川は「芸道とは、年齢や立場に関係なく謙虚に、淡々と歩み続けるものだ」と強く感じたといいます。


旧歌舞伎座の最後の公演月に「中村獅二郎」として初舞台を踏んだ経験も、梅川に強い影響を残しました。『助六由縁江戸桜』の三浦屋の新造役で立つ舞台の緊張感、先代市川團十郎氏や玉三郎氏との共演から学んだ“舞台に立つ覚悟”は、その後の芸道において揺るぎない基盤となっています。


6年間の歌舞伎俳優としての修練を経て、梅川壱ノ介は2016年、日本舞踊家として独立。クラシックバレエ、歌舞伎、日本舞踊という異なる芸道を歩んできた経験は、彼の表現の原点となり、現在の独自性へとつながっています。

 

日本舞踊の魅力を広く知ってもらうための新しい取り組みにも意欲的

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2016年に独立して以降、梅川壱ノ介は日本舞踊の魅力をより広く届けるため、伝統を尊重しながらも新しい表現を積極的に取り入れてきました。舞台には古典の美しさを残しつつ、クラシック音楽や民族音楽、現代アート、絵本など、ジャンルを超えた要素を溶け込ませていきます。


その代表例が、子ども向け作品【御伽ノ介絵巻 桃太郎】です。プロジェクションマッピングやピアノ・ヴァイオリンの生演奏を組み合わせ、桃太郎が絵本の世界から飛び出すように見える演出は、初めて日本舞踊に触れる子どもにとって強い印象を与えます。梅川壱ノ介は「昔の自分のように、日本文化を古くて堅いものと感じている子へ、日本舞踊のかっこよさや楽しさを知ってほしい」と語ります。


梅川壱ノ介は182cmという恵まれた体格を持ち、そのスケールの大きさを生かした表現を追求しています。大きなキャンバスのように舞台を使い、空間を切り取るようなダイナミックな動きは、古典の型を踏まえながらも新しさを感じさせる彼独自の魅力です。


伝統を守るだけでなく、今の時代にどう生かし、どう未来につなぐか。その問いを軸に、梅川壱ノ介は一つひとつの公演を通して、日本舞踊の新しい可能性を切り拓き続けています。


海外はもちろん日本の地域文化との融合で観客に新しい発見を提供

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梅川壱ノ介は、日本舞踊の魅力を世界へ届ける取り組みにも積極的です。海外公演では、日本ならではの“静寂の美”がどのように受け取られるのかを、肌で感じてきました。


例えば、ある海外公演でのこと。静かに扇を開き、わずかな足運びで場面をつなぐと、観客席の奥から小さな拍手が自然に湧き起こりました。派手な演出や大きな動きを使わなくとも、日本舞踊が持つ美しさに感動したら素直に表現するのが海外の反応です。


「海外のお客様は反応が率直です。良ければ自然に拍手や声援が起こり、良くなければ静か。でも、その場に合わせて派手に演出を変えることはありません。日本の本来持つ、静寂の中の美しさにフォーカスを当てています。」と梅川壱ノ介は語ります。


日本では最後まで静かに見守る観客が多いのに対し、海外では感情がダイレクトに返ってくる。その率直な反応は、日本の美しさを自らがどう表現するかを改めて考える刺激になるそうです。


梅川壱ノ介の公演は地域文化や伝統との融合にも積極的に取り組んでいます。日本遺産での公演、正岡子規の俳句や広瀬淡窓の詩、そして横須賀の猿島で400年続く虎踊り―土地に根づく文化を日本舞踊と掛け合わせることで、観客に“新しい発見や体験”を提供しています。


梅川壱ノ介の取り組みに共通するのは、「日本文化の奥深さを観客と共有し、同じ時間を幸せに過ごしたい」という想いです。海外でも日本でも、場所が変わっても変わらないのは、舞台を通して“文化の美しさ”を届けたいという、梅川壱ノ介のまっすぐな姿勢が感じられます。


舞踊家として感性を育む日常生活を送る

梅川壱ノ介は日常生活そのものも芸道だと考えています。朝目が覚め、朝日が差し込む部屋でドリップコーヒーを淹れる時間は、心と体を整える大切なルーティンです。豆を挽く音、湯気が立ち上るときの温度、香りの変化など小さな変化に気づきながら、「今日はどんな自分なのか」をそっと見つめる。その繊細な感覚が、舞台での表現にも通じていくと語ります。


午前は打合せやデスクワークが多く、午後からは稽古という生活リズムを守り、食事や睡眠にも気を配ります。家では玄米や味噌汁、納豆、漬物といった和食中心の食事を摂り、ストレッチで体を整えます。「美しいものに触れることは舞台での表現力を磨くことにつながります」と語る梅川壱ノ介。日々の暮らしの中で気になるところへは足を運び、実際に見たり触れたりしながら、その美しさを感じ取り、感性を育む。その積み重ねが、舞踊家としての感性を豊かにし、舞台表現の深みへとつながっているのです。


生活の一瞬一瞬を丁寧に味わい、そこから生まれる感性を舞台で表現する。梅川壱ノ介の日常はまさに「芸道そのもの」といえる時間で満たされています。


伝統は古きものを守りながら、“変化し続けること、生かし続けること”である

梅川壱ノ介が舞踊を通じて大切にしていることは、伝統を生かしながら現代の感覚に調和させることです。「日本舞踊の所作に宿る文化、歴史、精神を観客に届けることで、日本舞踊とは何かを問い続けたい」と梅川壱ノ介は語ります。

舞台は、人に気づきや癒し、そして新しい視点を与えてくれる場所です。異なる文化や価値観と交わることで、舞踊家自身の世界観も広がっていきます。梅川壱ノ介は「初めての方や子どもたちにも、日本舞踊に触れてほしい」と願っています。舞台を見た子どもが目を輝かせた瞬間、海外で静寂の美しさに拍手が起きた瞬間。そんな心が動く瞬間こそが、次の世代へ引き継ぐきっかけになると梅川壱ノ介は考えています。

伝統を未来へつなぐのは、特別な誰かだけではありません。舞台を観る人、文化に触れる人、裏方で支える人。日本舞踊に触れた人すべてが日本の伝統を支える力になります。積み重ねてきた経験を糧に、常に挑戦を続ける。その姿勢こそが、梅川壱ノ介の舞踊から感じられる“進化する伝統”です。


イベントに上質な和の彩りを添えるなら日本舞踊家・梅川壱ノ介の舞台を!

梅川壱ノ介は、これまで国内外のさまざまな舞台で、日本舞踊が持つ繊細な美しさと現代的な感覚を融合させた作品を創り続けてきました。その表現は、文化イベントや国際交流、教育の現場など、さまざまな場面で活かされています。


自治体や企業、団体向けのイベント、公演、ワークショップでは、場所やテーマに合わせて、伝統を生かした舞台づくりを柔軟に提案しています。単に古典を見せるのではなく、伝統と革新が交わる体験を通して、観る人が日本文化の奥行きを感じられる時間を届けることを大切にしているからです。


梅川壱ノ介の舞台は初めて日本舞踊を見る方でも楽しめる構成や、地域文化と組み合わせた舞台など、多様な形での企画が可能です。公演のご相談や詳細については、公式サイトにてご覧いただけます。イベントや舞台制作のご相談も、どうぞお気軽にお問い合わせください。



 
 
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